日米地位協定と昭和天皇の戦後のいきさつを考える

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日米地位協定と昭和天皇の戦後のいきさつを考える

改憲と日米地位協定

沖縄で米軍のヘリからの落下物がテレビで取り出されている。

こうした米軍の不祥事が起きるたびに、必ず持ち出されるのが日米地位協定の話なのですがこれには戦後直後の、昭和天皇と日本政府あるいは進駐軍であった米国との政治的な考察がなされていた。
実は最近色々な文章が公開されていく中で、現在のような従属的な日米地位協定とはなぜそうなったのかが解ってきました。
これには当時の昭和天皇が深くかかわっている事が、書籍の昭和天皇マッカッサー会見によって(豊下楢彦)解って気ました。
戦後5年を経て朝鮮戦争が勃発し、共産勢力が朝鮮半島まで降りてきた事を考えた時、昭和天皇はもっともこの共産主義つまり封建制度の打倒である対象である自身に、最終的には天皇制の放棄や戦犯の責任追及などがあるために、この共産主義というのを非常に脅威に感じていました。
この恐怖から逃れる為には、米軍に日本で好き勝手に軍事行動を起こしもらい、共産勢力の脅威から天皇制を守る為にこれを利用した。憲法が成立し、天皇の立場はすでに神格化ではなく人間であるにも関わらず、政治的な外交にこれ程口を出していた事が、現在の日米地位協定が極めて従属的な約束として成り立っていてロシアのプーチン大統領も、北方領土が返還できない理由にあそこに米軍基地を作られる可能性があるからに他ならない。好き勝手に基地を作れる環境が日本にある限り、返還は恐らくしてはくれないと私は思います。
極めてロシアにとっては安全保障の問題となるからです。

そこで私なりにこの豊下さんの論文から考える戦中、戦後の昭和天皇が考えていた事はこうではないでしょうか。
東京大空襲を含めて、日本本土が焼け野原になっていく訳です。この段階でこの戦争に見込みがない事は誰の目にも明らかだったでしょう。
東京大空襲は三月に起きてますが、この段階ではソ連に仲介を頼んでいるのが日本政府の立場でした。
所がヤルタ会談の約束通り、ソ連は南下を8月にして中立条約の一方的な破棄をしてきました。
この当時ソ連は、核兵器の完成をした米国に焦慮し必ずしも参戦不要となったソ連が、いち早く共産圏勢力の拡大を図った。自国の軍事力では天皇制を守れないと理解している昭和天皇は、むしろ米国側についてこの共産圏の対峙を考えたのではないだろうか。
つまり政治的に米国を利用しようと考えていたのではないだろうか。というのが私の研究です。

まとめ

豊下さんの論文を見ると、日本本土を守るという発起で作られたのではなく、幣原喜重郎を呼びつけたりして昭和天皇が極めて戦後直後に政治に絡んできたのが解ります。
つまり、天皇制保持が今日の地位協定における不具合が生じていると私は考えています。

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ドクトル
ドクトル
介護分野を中心に活動していました。70代男性でライター経験はありませんが、興味のある事や得意な事を発信していきたいと考えています。
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